そば屋をはしごしていろんなそばを楽しむ。贅沢といってこれほど贅沢なそばの食べ方はないだろう。それをはじめて覚えたのは13年前の初夏の米沢でのこと。その日は、不慮の事故で亡くなった高校時代の親友の49日の法要だった。高校は米沢興譲館高校であった。上杉藩の藩校がその前身で、かの有名な上杉鷹山が創始者とされているが、そのモデルになった学校は直江兼継までさかのぼるという。そんなわけでわたしは謙信公を崇め奉っている。たまさかには仕事で、武田信玄の甲府市を訪れなければいけないこともあるが、敵地に乗り込んだような気分になり、なにか落ち着かない。それに、そばもまずい。話がそれた。法要の帰り道、わたしたち旧友4人は友人の突然の死に全くと言って良いほど打ちのめされてしまっていた。いつもムードメーカーで柔道部の主将であったS君が「よう、そばでも食うがあ。たいした供養になっこでえ。」と言った。みんな「んだ、んだ」と頷いた。私以外の3人は米沢の住人なので、それぞれ自分の推すそば屋があるらしい。「んじゃよ、3軒全部いぐべえ」とわたしが提案した。高校時代はそば屋などには入ったこともない4人組であったが、いまや屈強のそば大食いおやじ愚連隊と化していた。それぞれの店で2枚ずつ、1人計6枚を軽くやっつけたものだ。お腹を抱えて見上げれば、吾妻山頂の雲はすっかりと晴れ渡り、楡の木がそよ風に葉裏をみせていた。