20年も前のこと、「そば処 もとき」が今の場所に移転する前の川沿いの店に行ったことがある。もときのそばは昔から有名だったのだ。わたしはというと、もちろん若かった。そのそばはやけに白っぽく、口に入れると蕎麦らしくない食感がし、まるでこんにゃくを噛んでいるような思いがしたものだ。それ以来、ここのそばをこんにゃくそばと呼んで蔑み、幾たびも嘲笑の的にした。繁盛している店の前を通るときなど「よくもまあこんなそばをありがたく食べに来るものだ。何も知らない観光客はしょうがないね。ったく。」と独り言を言うのが常だった。先日、大先輩のドクターKに誘われたので、気は進まなかったが仕方なくついて行ってみた。その結果、わたしは大いに反省しましたね。艶々として色気があり、白く輝くそのそばは独特のこしがあり、なんと品のよいことか。「もとき」よ、どうか許してくれ。わたしは深々とこうべを垂れ、若かりし自分の未熟さと軽率さを呪うのであった。ここの蕎麦が変わったわけではない。わたしが成長したのである。ああ、苦節20年。わが血涙の修行と鍛錬とたゆみない努力はかくして報われたのだ。