くろべえのとうちゃんこと,私,猫遍歴は相当長い。私の故里は山形県の白鷹町という、最上川が町の真中を流れている人口わずか1万人弱の片田舎である。実家は町に2軒しかない医院で,昔から猫屋敷と呼ばれていた。家に初めて迷い込んできた猫はミッキーというハイカラな名前であったが,5歳の私が命名した,ということになっている。以来,家の前に猫を捨てていく人が絶えず,それをかわいそうにと思って拾うことの繰り返しのため,家の中には常に10匹以上の猫が住む状態になってしまった。一時は17匹まで増えたことがある。都会とは違って、田舎の古い家のことゆえ家の中と外の区別もあいまいで、猫たちはあちらこちらにばら撒かれ、それぞれが勝手気ままに暮している風情であった。猫たちの周りの人間たちは、猫がいるからといって息苦しく感じることもなく、お互い適度な距離を保って共同生活をしていた。しかし、それにしてもこの異様な状況は,一家の主婦がよほどの猫好きで,猫という生物に対して寛容でかつ憐憫の情が人一倍強くなければ絶対に現実化し得ないことのように思われる。私の母はこれらの条件を全て見事に満たしていたのであった。さらに,必要な条件として,一家の主人はよほど仕事が多忙で,家の中の諸事に鷹揚で,猫が自分の回りにいようがいまいが自分は門外漢であるという,そんな鈍感さを持ち合わせていなくてはならないのである。ところが,父もまた,まさにそのような人物であった。さらに悪いことには,お手伝いのおばあさんが“猫ばあちゃん”と呼ばれるほどの猫好きで,たくさん猫がいればいるほど喜んで猫世話をする人だったのである。かくして,私は物心がついたときから猫と一緒に寝起きし,食事し,そして遊び,成長していったわけである。新しくきた猫の名前を付けるのは私達3人兄弟の仕事だった。多くの猫のなかで、白丸,赤丸,黒丸,ション,ペコ,ナナゴンなどはいずれも忘れ得ぬやつばかりである。白丸と赤丸は実に3代目まで続いた。時の総理大臣,エイサク,カクエイ,タケオなどもいとも簡単に猫の名前になった。「このエイサクのばかたれ」といっておつむをペンとひっぱたくと気持ちがいいのである。のべ50匹を超えるこれらの猫の中には奇妙な癖を持つやつもいた。うれしくなると突然手に噛み付く猫,おやつが貰えないと涙する猫,布団の中に入り込んできてアソコをガブッとやる猫,夜中になると必ず枕もとで吐く猫。これらの中で私が一番好きで親交が深かったのは黒猫の黒丸であった。かれの抜群な身体能力と気性の激しさに惚れ込んだものだった。
猫たちと一緒に暮らしてきたといっても、私は彼らとただ遊ぶだけのいわば仲間といった関係で、食事やトイレなどの世話や,病気の看病などは一切やらなかった。そのほとんどは猫ばあちゃんの仕事であったし,夜は母が一切の面倒を見ていた。つまり私などは全く世話をする必要が無かったのである。そのうえ、私は高校のときから家を離れて米沢市に下宿するようになったので、猫とは友達以上の関係になることはなかった。猫が死ぬときも、それを看取るような機会は一度もなかった。もっとも、ほとんどの猫たちは死期を悟るといつの間にかどこかに姿を消し、孤独に息をひきとるものなのである。
東京から松本に引っ越してきたのは私が40代前半の頃だった。松本市中央図書館の奥をだらだらと登っていく細い道の途中からちょっと入り込んだ,ある古い家を改築し住むようになった。家の下方20メートルぐらいのところに、毎年蛍が飛ぶ大門沢川という小さい流れがあり、水かさが増すときだけ、西側にある私の部屋に川の音が聞こえてくる。そんな、人も車もめったに通らない閑静としたところである。この家に引っ越してきて1年ほど経ったある日曜日のことだった。私が半日ほど留守にしていたとき、妻が玄関の外で猫が鳴いているのを聞いたという。ドアを開けてみると、物に憑かれたようなランランとした眼で妻をまっすぐに見据え、みゃあと甲高く鳴いている痩せたトラ猫が玄関に立っていた。そのミイラのような身体をした猫は目を逸らすことなくみゃあ,みゃあと何かを訴えていた、と思ったそうだ。その後ろに隠れるようにして、やっと歩き始めたぐらいの眼つきのきついトラの子猫が佇んでいたという。お腹を空かせたかわいそうな子猫を引き連れたけなげな兄の図であった。この2匹がミャアとテイビである。そこで妻はどうしたかというと、魔術にかけられたごとく冷蔵庫に走り、チーズの塊を取り出してきて、そのまま差し出すと、ミャアはガッガッとすぐに飲み込んでしまったという。ここで言っておかねばならぬことがある。実は、私の妻は昔から猫が嫌いなのだ。「あのときはミャアのあの眼にやられてしまった」と後に語っている。一度餌をあげてしまえばこれで終わらなくなるのが必定である。その日からこの2匹は家の周囲をうろつくことになったが、その当時はこれが序章にすぎないとは想像もできないことだった。2日後、ミャアの一族郎党が現れたのである。勝手口に、ミャアとテイビを先頭に総勢7、8匹もの猫が餌を頂戴といって整列しているのである。ここでそのメンバーを簡単に紹介しておこう。ママ:全身明るいグレー色の妖艶なご婦人。テイビにおっぱいをあげるのでこの子の親であることは間違いないが、一族すべてのゴッドマザーのようなふしがある。きれいで賢く、優れた感性を持った理想的なノラ猫である。ミャア:年齢不詳。家猫よりも人懐こい奇妙な性格の持ち主で、これほど人好きの猫は見たことがない。ママの息子だとは思うが、夫の可能性も完全には否定できない。テイビ:天衣無縫で、ミャアを兄と慕う一途さは尋常ではない。眼つきの悪さがそのまま性格を示しているようだ。ママモドキ:容姿がママそっくりの美人娘であるが、頭が少々弱いのが玉に傷。楽天的で享楽的なものの考え方をする。ブタパンチ:相撲の朝青龍の顔をそっくり取ってきたような顔をした極めて醜いトラ猫。餌をあげようとすると感謝するどころか、逆に「ケッ」といってパンチを繰り出してくるので、その朝青龍のような凶暴さと醜い容貌とが相まってブタパンチと命名された。しかし、家族思いの優しい意外な一面もある。マダラ:これ以上汚い配色は考えつかないぐらい悲劇的な、黒と濃茶色のまだら模様の雌猫で一族皆から嫌われている一匹狼,いや一匹猫である。その他に、ミャアモドキとミャアモドキのモドキ,たまにしか顔を見せないクロなどがいた。これらのたくさんの猫たちが、庭に面した勝手口のところで餌を食べている情景は異様である。彼らの中には暗黙のうちに序列ができていて、ママは別格として、ミャアが最も偉く真っ先に餌を食べ始める。ついで、テイビとブタパンチ,そしてママモドキと続き、マダラやクロなどは最も低い身分とみなされ,残ったものをあさっていた。つまり、グレーとトラ系がこの一族の主流派になっているようだ。いずれにせよ、この一族を飢えと絶望から救った功労者はひとえにミャアといってよい。よちよち歩きのテイビをわざと引き連れて玄関に立ち、妻の憐憫を誘った真っ向勝負の作戦は見事というしかなく、ただものではないという気がする。
このようにして、一族郎党が庭や家の周囲を住みかにするようになった。そして、朝と夕方の決まった時刻、勝手口に全員集合し、ミャアとテイビが代表して「食事の時間ですよ」と大声で合唱するのである。窓から彼らの様子を見ていると,言い知れぬ不安が芽生え,ひとたび点火した不安が身内の中で次第に拡大していくのを感じる日々が続いた。果たして、あいまいな得体の知れない不安は的中した。さらなる困難が数ヵ月後に襲ってきたのである。まず、ママが3匹の子猫を連れて現れ、芝草に横たわって授乳しているのを目撃し唖然とした。その翌日、今度はマダラが2匹の子猫を連れて庭を歩いていたのだ。雌猫がこのまま次々に出産し、子猫が成長してまた子供を産むようになったら、際限がないではないか。この家はこのさきどうなってしまうのだろうという危惧で、家庭は暗雲とした雰囲気に包まれてしまった。なに、餌をあげなければいいではないか、とおっしゃる御仁がいるでしょう。しかし、ミャアとテイビに少なからず愛情らしきものを持ってしまった家族にとって、この2匹を見捨てることは到底できない相談だったのである。しかもこの2匹だけを養い、彼ら一族を追っ払うこともできないことだった。
ママとマダラの子供たちは、親と一緒にたびたび庭へ現れたが、
その頻度は次第に少なくなり、結局、ひと月ぐらいで姿を見かけなくなってしまった。おそらく、病気で死んでしまったのだろう。ママもマダラも普通の生活に戻っていったようである。しかし、さらに一ヵ月後、今度はママモドキが赤ちゃんを口にくわえて現れ、椿の木の根元に生えているすずらんの葉の中に隠したのである。その日は、近くを流れる大門沢川の掃除の日であったのでよく覚えている。すずらんのところへ見に行ってみると、3匹の子猫がミューミューといってうごめいていた。顔を近づけてみると、ママモドキにそっくりなグレー色の猫がカーッと私を睨みつけ、その後ろには、きじトラと真っ黒の子猫が情けない目つきでおろおろと震えていたのである。これがくろべえとの邂逅であった。