風吹けば落つるもみぢ葉水清み散らぬ影さへ底に見えつつ(風が吹くたびにおちる紅葉。水が澄んでいるので、まだ散らずに残っている葉の姿までも底に映りながら)
秋風が吹くと清い沼に紅葉がぱらぱらと落ちてくる。これだけでも儚く美しいのに、よく見ると水に漂う紅葉と少し様子が異なる紅葉が混じっている。なんとそれは、水があまりに澄んでいるのでまだ散らずに残っている紅葉が水底に映っていたのだった。この幻想的な風景の中で、見ている自分もその中に溶け込まれてしまったのではないだろうか。なお、当時は、水面ばかりでなく水底にまで物が映って見えると考えられていた。
躬恒の生没年も父・祖父の名前も分かっていない。地方官を歴任し身分は低かったが、優れた歌人で、古今集の撰者のひとりに選ばれる名誉を得た。身分と名声の落差が不遇さを痛感させる。古今集には紀貫の九十九首に次ぐ六十首を入首、貫之と併称された。一般的には貫之のほうが高く評価されているが、藤原俊頼、俊恵親子のように、躬恒をより高しと見る人もいた。躬恒の歌風は貫之と違い、軽妙さと機智を特徴としており、持ち味が違う双璧の名手と言って良いだろう。この人の歌の中で私の好きな歌を数えれば十首を下らない。そのうち二首を挙げると、
手もふれで惜しむかひなく藤の花そこにうつれば波ぞ折りけり(手も触れずに散るのを惜しんだ甲斐もなく、藤の花は水に映ると波が折ってしまった)
「雁の声を聞きて、越にまかりける人を思ひてよめる」
春来れば雁かへるなり白雲の道ゆきぶりにことやつてまし(春が来たので雁が北へ帰って行くようだ。白雲の中の道を行くついでに、越の国の友に言伝をしたいものだが) 特に“白雲の道ゆきぶり”がすばらしい。道ゆきぶりとは、道中のついでにという意味。雲の中の雁の通り道を「道」に喩えた。また、雁は手紙を届ける使者にも喩えられた。
小倉百人一首 心あてに折らばや折らむ初霜のおきまどわせる白菊の花
正岡子規はこの歌を「一文半文の値打ちなし。ささいなことをやたら仰山に述べた無趣味な歌。仰山的な嘘が和歌腐敗の原因。」などと罵倒した。世間もその考えに流されて、躬恒の歌が顧みられなくなったことがある。とんでもないことである。子規個人の好き嫌い感情などどうでもよい。誇張法こそ歌の神髄であるし、それが全くなければ和歌は成り立たないと思う。古今時代の心弾みする軽い感覚の機智には、王朝人の風流と雅が感じられるではないか。私などは誇張が大げさであればあるほど嬉しくなるほどだ。第一、今の感覚で言えば、子規の時代などはもうすでに古びてしまっている。