隠れにし月は廻りて出でくれど影にも人は見えずぞありける(妻が亡くなった去年のほぼ同じ月が廻ってきた。隠れていた月もその姿を現わしたが、亡き人は月の光に面影さえ見ることができない)
“隠れにし”は月と妻の両方に掛かっている。四月四日に亡くなった北の方の一周忌の法事を準備しながら、美しい月夜に縁側へ出てしみじみと妻の思い出に浸っている。
忠平は、かの権力者基経の四男。道真を謀略で貶めた時平と、伊勢との恋で有名な仲平の弟である。時平の死後、関白太政大臣に君臨し、藤原氏全盛の基を築いた。しかし、父基経や兄時平とは性格が異なり、温厚で誠実で人望があったという。左遷された道真とも親交があったという。亡くなった妻は宇多院の皇女傾子であるが、その母は道真の娘であった。つまり、道真の孫娘と結婚していたことになる。このような関係から、道真とは生涯音信を交わしていたのだろう。兄時平が急死したときも挽歌を詠んでいる。
春の夜の夢のうちにも思ひきや君なき宿をゆきて見むとは(はかなく短いという春の夢の中でさえ、思っただろうか。あなたの居ないこの邸に来てみようとは) まさか陰険な策略家の時平が三十九歳で急に死ぬとは夢にも思ってもいなかったであろう。あの時平に心から哀悼の意を表したのは、温厚な弟忠平だけであったかもしれない。
「大鏡」に面白い逸話が載っている。紫宸殿の玉座の後ろを通るとき、妙な気配がして、太刀の鞘の先をつかむ者がいるので探ってみると、爪が長く毛むくじゃらの刀の刃のような鬼の手だった。「天皇の命令で政務に向かう私を妨げるとはなに者だ」といって太刀を抜くと、鬼はうろたえて逃げてしまった。温厚さの反面、肝の据わった人物であったようだ。
小倉百人一首 小倉山峰のもみぢ葉こころあらば今ひとたびのみゆき待たなむ