見わたせば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりけり(都をはるかに見渡せば、柳の緑と、桜の白と混ぜ込んで、さながら春の錦であった)
あまりにも人口に膾炙した一首である。錦は秋の紅葉を喩えとするのが普通であったが、柳と桜が織りなす春の景色も錦と言えるだろう、と詠った。しかも、「ぞ・ける」の強意を表している。歌風は単純でありながら、全く翳りのない清らかで堂々としたところが良い。すっと心の中に入り込んでくる安心感がある。定家はこの歌を高く評価し、自身これを本歌とする作を多く作った。たしかに京都には柳が多い。混み合う桜の季節を避けて早春に訪れることが多いが、ちょうどその時期は柳の芽生えが私達を迎えてくれる。なぜか私は柳の芽生えの柔らかなもやもやさに心がくすぐられる質だ。松本城のお堀の脇に立つあの一本柳の芽生えの頃になるといつも、垂れ下がっている宝石に触れてみたくなって心が騒ぐ。
素性法師の俗名は良岑玄利(よしみねはるとし)、十二番遍昭の子である。左近将監(今の陸上自衛隊の幕僚長に相当)にまで昇進したが、父遍昭に呼ばれ、「法師の子は法師になるぞよき」と言われて無理矢理出家させられた。父みずから剃髪し、素性の名を与えたという。大和国石上の良因院の住持になった。自発的に出家したわけではないので道心が薄く、宮廷の恩顧に浴していた。特に、宇田院、醍醐天皇、二条院高子などから寵遇を受けた。
素性の歌の特徴は、口調が良いわかりやすさで、滑稽さを含んだ軽妙さが感じられる。古今集では春の歌が賞賛されているが、次の秋の二首も好きな歌だ。
もみぢ葉の流れてとまる湊にはくれなゐ深き波や立つらむ(川に散り落ちたもみじ葉が流れて行き着く湊には、深い紅色の波が立つだろうか)
もみぢ葉に道はむもれてあともなしいづくよりかは秋のゆくらむ(山道はもみじ葉に埋め尽くされ、痕跡もとどめない。いったいどこを通って秋は去って行くのだろう)
小倉百人一首 いま来むと言ひしばかりに長月の有明の月を待ちいでつるかな