月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして(自分ひとりは昔ながらの自分であって、こうして眺めている月や春の景色が昔のままでないことなど、あり得ようか) “月やあらぬ”は“月や昔の月ならぬ”の略。伊勢物語第四段で詠われたあまりにも有名な絶唱である。密かに愛し合った二条の后高子との逢瀬は一年前のこと。消息を絶った高子はすでに宮中にいて、自分が訪ねていけるところではない。月は去年のままの輝きであり、春は同じ春景色であるはずなのに、これほど違って見えるということは、もう自分の境遇はすっかりと昔とは異なったものになってしまったのだ。ああ・・・。
業平は平城天皇皇子阿保親王の第五子。母は桓武天皇皇女の伊登内親王。前出の行平の異母弟である。文徳天皇皇子の帷喬親王に仕えた。出世裏街道を歩んだが、昔の恋人である皇太后高子によって蔵人頭という要職に抜擢された。
業平といえば伝説的な美男の風流子で、“伊勢物語”の主人公といわれている。興味があったので“伊勢物語”を読んでみたが、話が断片的で業平の人物の全体像が全くつかめず戸惑ってしまった。ところが、高樹のぶ子著「小説伊勢物語 業平」(日本経済新聞出版)を読んで得心がいった。この本は間違いなく名著である。「伊勢物語」が十分に整理され、業平の一生をたどる物語として読むことができるのである。しかも平安王朝のみやびが匂い立つような独特の文体が魅力的である。「伊勢物語」のなかでも多くの名歌が歌われている。その中で私が好きな二首、
ゆく蛍雲の上までいぬべくは秋風吹くと雁に告げこせ(飛んでゆく蛍よ、雲の上まで行ってしまうのなら、「もう秋風が吹いている、早くおいで」と、雁に告げておくれ)
世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(この世の中に全く桜というものが無かったならば、春を過ごす心はのどかであったろうよ)
小倉百人一首 ちはやぶる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは