君がせぬわが手枕は草なれや涙の露の夜な夜なぞおく(そなたがしない私の手枕は草の枕なのだろうか。涙の露が夜ごと置くところをみると)
いつもならあなたの手枕で寝るのに、寂しさに堪えきれず流す涙で私の手は草のように濡れてしまう。長い間里に下って参上しない更衣(皇后よりかなり低い身分の女房)に対し、軽いたわむれの気持ちもこめて怨じてみせたものだろう。
光孝天皇は、時の権力者藤原基経によって陽成天皇が廃位された後、多くの皇位継承者の中から基経に推され即位した。このときすでに五十五歳であった。そして、わずか三年の後五十八歳で崩御している。若い頃から勉学に励み、諸芸に優れた文化人であった。特に和琴に秀で、相撲を奨励した。性格は温厚で誠実、人望があったという。徒然草には、即位後も不遇だった頃を忘れないように、かつての自分が炊事をして黒い煤がこびりついた部屋をそのままにしておいた、というエピソードが書かれている。このような人柄の天皇が、くだけた恋の歌を詠うのは少し意外な感じがする。
小倉百人一首 君がため春の野にいでて若菜つむわが衣手に雪はふりつつ