我が宿のいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕(ゆうへ)かも(わが家の清らかな竹の群立ち、その竹を吹く風の、葉ずれの音がかすかに聞こえてくる、この夕べの物寂しさよ)
“いささ群竹”の“いささ”は清浄な笹という解釈もされているが、私は言葉通り“竹の群立ち”をとりたい。“かそけき”は光、色、音などが知覚できるかできない程度のはかないさで、家持がはじめて使った造語。夕暮れのほのかな光の中、一人たたずむ孤独な家持。わが家のわずかばかりの竹群を春風がそよそよと通り過ぎてゆき、その葉ずれの音がかすかに聞こえてくる。ああ、この夕暮れのやるせない寂しさよ。もし、万葉集の中から一つ撰びなさいといわれたら、私はこの一首を撰ぶだろう。田辺聖子はこの歌を「こまやかな心のふるえの独白を耳元で聴く思いがする。万葉のメランコリイはこの一首に凝って珠となった」と賛嘆している。
数年前の春、「哲学の道」をのんびりと歩いて銀閣寺に行ったことがある。もう閉館時間が迫る夕方であった。帰りの出口の方に歩いて、銀閣寺のちょうど裏側にさしかかったときだった。どこからともなく竹の葉がさらさらとそよぐ音が聞こえてきた。そのとき家持のこの歌が心の中に浮かび上がり、ある種の感慨に襲われたことが思い出される。
家持は大伴旅人の嫡男。武門の名門大伴家の長として越中守、因幡守など歴任し中納言になる。人麻呂や赤人らの宮廷歌人の伝統を引き継ぎ、万葉歌の世界を綜合した大歌人である。万葉集の編集者といわれ、収録歌かは四七三首にもおよぶ。
選抜首と同じ時期に詠われたのが次の二首、
春の野に霞たなびきうら悲しこの夕影にうぐいす鳴くも(春の野に霞がたなびいて、何となしにもの悲しい、この夕暮れのほのかな光の中で、鶯が鳴いている)
うらうらに照れる春日にひばり上り心悲しもひとりし思へば(うららかに照っている春の日の光の中に、ひばりの声が空高く舞い上がって・・・、この心は悲しみに深く沈むばかりだ。ひとり物思いに耽っていると)
「これら三首に共通するものは、繊細で清澄な感性が捉える“春愁”の思いである。この三首こそは家持の生涯の歌作の中での絶唱とも言うべきもの」と清川妙は述べている。
小倉百人一首 かささぎの渡せる橋におく霜のしろきを見れば夜ぞふけにける