若ければ道行き知らじ賄(まひ)はせむ黄泉(したへ)の使(つかひ)負うひて通らせ(まだ年端もゆかないので、どう行ってよいかわかりますまい。贈り物は何でも致しましょう。黄泉(よみ)の使いよ、どうか背負って行ってやって下さい)
古日という名の男の子を亡くしたときの挽歌である。大事に育てた白珠のようなかわいい男の子が急病に罹ったが、どうしたらよいのかわからずただおろおろとするばかり。あっという間に死んでしまった。父親は飛び上がったり、地団駄を踏んだり、空を仰いだり、胸を打ちたたいて悲しむがどうしようもない。このような悲嘆に満ちた長歌が詠まれ、次に詠まれた反歌が今回の歌である。長歌も反歌も涙なしでは読むことができない。
憶良は漢学に造詣が深い教養人で、五年間遣唐使として唐にも渡っている。その後筑前守に任命され、太宰帥であった大伴旅人と親しく交わり筑紫歌壇を形成した。憶良といえば、子どもへの愛を歌った人として有名である。
銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも(銀も黄金も玉もいったい何になろう。これら優れた宝も子に及ぼうか。及びはしないのだ)