若浦に潮満ち来れば潟をなみ芦辺をさして鶴(たず)鳴き渡る(若の浦に潮が満ちてくると干潟がなくなるので、葦の生えている岸辺をさして鶴が鳴き渡っている)
聖武天皇が紀の国に行幸したときの歌である。若浦とは和歌浦のこと。ひたひたと満ちてくる波の音、鶴がしきりに鳴き渡り、向こうの方を眺めると葦の原が拡がっている。目の前の風景をそのまま詠ったような感じだが、なぜか心に沁みる。人麻呂の歌と同様、思わず口に出して詠んでみたくなる歌だ。
赤人の歌はすべて聖武天皇代の歌である。赤人は宮中歌人で、人麻呂と並び称された歌仙である。しかし、個性は人麻呂とは全く異なる。人麻呂は雄大に情念を吹き出して人の心を揺さぶるが、赤人は美しい自然の事象を清らかに歌い上げることが多い。湧き上がった感情は心の内へと向かうようである。清川妙は「彼の歌は小さな物へと目をとめ、かぎりない愛をそそぐ。彼はなつかしさをたたえた人である」と評している。次の二首も赤人らしい歌だ。
ぬばたまの夜の更けゆけば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く(夜がしんしんと更けるにつれて、久木の生い茂る清らかな川原で千鳥がしきりに鳴いている)これも聖武天皇が吉野宮滝の行幸にお供した折献上した歌。吉野宮滝には離宮があった。“久木”は赤芽柏とも、きささげともいわれる。
春の野にすみれ摘みにと来し我れぞ野をなつかしみ一夜寝にける(春の野にすみれの花を摘もうとやってきた私は、野辺の美しさに心引かれて、ここでつい一夜を明かしてしまった)
小倉百人一首 田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ