海神(わたつみ)の豊旗雲に入日さし今夜の月夜(つくよ)さやけくありこそ(大海原の旗のように浮かぶ雲に入り日がさしている、今宵の月夜はまさしく爽やかに澄んでいることだろう)
この雄大で堂々たる響きが好きだ。豊旗雲は旗のように横に広がる雲のことだが、なんという美しい響きをもつ名前だろう。この二句こそが、この歌を一層魅力のあるものにしているのだと思う。
後の天智天皇である中大兄皇子は、藤原鎌足とともにクーデターを起こし、皇統を我が物にしようとした蘇我入鹿を殺害した。皇子自ら剣をとり宮中で入鹿の首をはねたのだから、よほど勇猛な皇子だったのだろう。その後、大化の改新を断行し、律令国家の基礎を造った。さらにその後、友好国である百済が唐と新羅に攻められたため、大軍を派遣し戦ったが白村江の戦いで敗れてしまう。この「わたつみの」の歌は、九州の筑紫から出陣する船団を見ながら皇子が詠んだものと言われている。この美しい力強い歌で航行の無事を祈り必勝を祈念したのだろう。皇子はこのとき三十六歳だったという。
朝倉や木の丸(まろ)殿にわがおれば名乗りをしつつゆくは誰(た)が子ぞ(朝倉の丸木造りの御殿に私がいると、名を告げては通り過ぎて行くのはどこの者だ)
この歌も九州筑前国の行宮で詠われた。大らかで素朴な感じがする歌である。
小倉百人一首 秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ