2015年4月26日 サントリーホール 1曲目のベートーベンのヴァイオリンソナタ5番の冒頭で、早くも私の身体に怪しい反応が生じた。発作の前兆だ。私は今日きっと発症するであろうという予感はあったのだが、本格的な症状はベートーベンのヴァイオリンソナタ7番の第2楽章の時にやってきた。特に緩徐楽章がいけない。泪が溢れだし、止まらなくなるのである。まさに滂沱の泪。この世でいかなる巡り合わせなのか、私にとってキョンファのヴァイオリンの音色は麻薬なのである。この音色は美しいというより、むしろ哀愁を帯びた悲しくも切ないものとして感じられる。それが胸の中に沁みこんで来るやいなや、胸の中を駆け巡り、切ない感情の受容体を刺激していくのだ。2013年名古屋でのリサイタルでも大泣きした。チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲第2楽章をCDで聴いても軽度の症状が出現する。奇妙なここと笑わば笑え。演奏会で泣いてしまう人はあまりいないと思うが、思い起こせば私が不覚にも泪を流したことは数回あった。たとえば、①20数年前サントリーホール、ハインツ・レーグナー指揮ベルリン放送管のベートーベン第9終楽章 ②10年ぐらい前、小澤征爾指揮サイトウキネンオーケストラ 内田光子のピアノでベートーベンピアノ協奏曲第4番第2楽章 ③4年前サントリーホール、スクロヴァチェフスキ指揮N響のベートーベン第9第3楽章 ④2013年名古屋でのキョンファリサイタル、ブラームス ヴァイオリンソナタ第1番すべての楽章で。
さて、ところがである。このようなすばらしい音色をかもし出すキョンファの姿はといえば、美しさ優雅さとは程遠いものなのである。アナスタシア・チェボタリョーワや諏訪内晶子のようであればすばらしかったのに。実際のキョンファの姿は、はっきり言ってしまえばカッコワルイ。演奏中の挙動は一種滑稽さをも感じさせる。弦を弾くときなどはピョンと飛び上がる。さらに、彼女の醸し出す雰囲気は神経トゲトゲだ。楽章間に沸き起こる咳の大合唱が神経に触るらしく、聴衆に向かってシーッという仕草をしたり、会場内にパンフレットなどが落ちる音が起こったりすると、演奏中なのに凄い形相で睨みつけたりする。曲を弾こうと構えた時、誰かの小さな咳の音でも弾くのをやめてしまう。彼女の外観のカッコ悪さと神経トゲトゲを差し引いても、あのヴァイオリンの魔力は、私を名古屋やサントリーホールへと走らせるのであった。