クリステイアン・テイーレマン指揮 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
R.シュトラウス メタモルフォーゼン
ブルックナー 交響曲第9番
2015年2月24日 サントリーホール
私はブルックナー狂である。しかるに、この演奏会が終わって、ブルックナー9番はもう生涯聴かなくても良いとさえ思っている。なぜなら、これを超える演奏には二度と巡り会えないだろうと思うからである。私の生涯の記念碑のひとつといっても過言ではない。今日の演奏会はとにかく特別ずくめだ。①まず、なにがなんでもテイーレマンであること。②そして、オーケストラがドレスデン国立歌劇場管弦楽団というドイツ特有の重厚な響きとキラキラ輝くようなプラチナサウンドを併せ持つ楽団で、テイーレマンとの信頼関係は極めて良好なこと。③ブルックナーの9番であること。ブルックナーの音楽は喜びとか苦悩とか死の恐怖などという人間的なドラマは皆無で、大自然の賛歌や大宇宙そのものなのである。神にささげる音楽といってもよいかもしれない。なかんずく第9番は、その深みと崇高さは他の作品と較べて格別のものだ。④サントリーホールという国内では最高の音楽堂で、しかも席が5列のど真ん中であるということ。
神秘的な弦のトレモロから始まり宇宙の鳴動のような主題が繰り返される一楽章。ダダダッダッダッと世界を破壊する響きの二楽章。そして、あたかも神と対話しているようかのような、この世のものとは思えない壮大な三楽章。冒頭から終曲まで、私の胸の奥はなにものかに異様に圧迫され、魂が締め付けられ続けていた。そして、異次元の世界に引きずり込まれてしまった。自分ではあっという間に終わってしまったようでもあり、時間という概念の外に居たような感覚でもある。その間、はたして呼吸をしていたかどうかも定かでない。曲の聴かせどころに差し掛かると重心を低くしてテンポを落とすのがテイーレマンのスタイルであるが、今日のブルックナーではかなり多くの場面がそうであった。たとえば、ピアニッシモのときテイーレマンがしゃがみ込むほど膝を折り指揮棒の動きが止まりかけると、テンポはググッと遅くなり、音は限りなく透きとおり、深く沈みこんで、時間の流れが止まってしまう。指揮者とオーケストラと聴衆が一体化した瞬間である。このときの音の深遠さ、会場全体の静寂感と緊張感などは決して録音には入りきれないものであろう。そして、このオーケストラのなんと美しく輝く響きなのだろう。金管楽器の大強奏のときでさえ、濁りのない柔らかい響きが会場の隅々まで満ちるのである。
ここまで書いて、そういえばブルックナー9番をこの数年間に2回聴いたことを思い出した。それは、2011年ラトル指揮ベルリンフィルと2013年ハイテインク指揮ロンドン響の演奏会である。前者は高度に洗練された演奏で、後者は豊かで安定感のあるものだった。もちろん、いずれも世界的に超一流の演奏であった。しかし、今日の演奏は精神的な高みの面において、両者とは全くレベルが異なると言わざるを得ない。
もともとテイーレマンはワーグナー、R.シュトラウス、ベートーベンなどドイツ系の重厚な作品を得意としている。しかしよく考えてみれば、レンガを積み上げていくような構築が不可欠で長大なブルックナーの音楽は、テイーレマンにはぴったりなのである。テイーレマンこそが天性のブルックナー指揮者なのではないだろうか。迂闊なことに、今日までそのことに気がつかなかったのである。テイーレマンはすでに、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団とは5番、8番を、ウィーンフィルとは5番を録音済みだという。テイーレマンのブルックナー交響曲全曲のCDが出るのが待ち遠しい。私は、ブルックナー指揮者としては、シューリヒト、クナッパーツブッシュ、ヴァント、チェリビダッケなどが好きである。1年に2,3回、自分の持っているCDの中から1番から9番まで一枚ずつ取り出して、独自の“ブルックナー交響曲チクルス連続演奏会”を楽しんでいる。その中で私がベストと思っているものを紹介したい。1番:アバド指揮ルツエルン祝祭管 2番:スクロバチェフスキ指揮ザールブリュッケン放送管 3番:ヴァント指揮北ドイツ放送管 4番:チェリビダッケ指揮ミュンヘンフィル 5番:ヴァント指揮ベルリンフィル 6番:クレンペラー指揮ニューフィルハーモニア管 7番:チェリビダッケ指揮ミュンヘンフィル 8番:クナッパーツブッシュ指揮ミュンヘンフィル 9番:シューリヒト指揮ウィーンフィル。将来、これらはほとんどテイーレマンに塗り替えられることになるだろう。
サントリーホールの演奏会が終わり、頭の芯が痺れた状態でいつもの“オーバカナル”に入った。そして、いつも注文する美食家風サラダと鴨のコンフィで赤ワインを飲んだ。周りの席のほとんどが演奏会帰りの人々で、あちこちから「今日のテイーレマンは凄かったねえ」「感動したよ」などという声が聞こえてくる。私も、魂を占拠した大きな感情を、なにかに憑かれたようにしゃべりまくっていた。すると、すぐ近くの席で1人さびしそうに食べている外国人を見つけて、「オーケストラの人かしら?」と妻が言う。この店はもともと外国人客が多く、楽団員も演奏会の後で来ることがある。おや、そういえばどこかで見たことがある顔だなあ。あっ、やっぱりそうだ。「あいつ、あいつだよ。ほら、おとといヤルヴィと共演したピアニスト。」「きゃー、ホントだ。あの黄金の指と握手してみたい。」小柄でおとなしそうな風貌の人である。もちろん、周りの人たちは誰も気がつかない。ちょうど、帰る身支度をはじめたので、話しかけるのは今がチャンスだ。「さあ、これが英会話の実践練習だよ。」と、英会話を習っている妻をけしかけた。ピョートル・アンデルシェフスキという難しい名前だが、ピョートルしか思い出せない。仕方がないのでファーストネームで馴れ馴れしく「ピョートルさんですか?」と妻が聞いた。「おとといの名古屋のコンサートに行きました。あなたのモーツアルト25番にはとても感銘を受けました。」「ありがとうございます。今日はテイーレマンの演奏会に?」などという会話の後、サインをもらった。彼は今日の午後、東京オペラシテイーでリサイタルを開いたのだという。にこにことして感じの良い人だった。私もついでに握手してもらったが、柔らかい手を握ったとき、おとといのモーツアルトの調べが頭の隅で響いたような気がした。