これからのクラシック音楽界を上岡敏之という天才指揮者に懸けたい、と私は思っている。
1960年生まれの上岡敏之は、2004年からドイツのヴッパタール交響楽団の首席指揮者を務めており、2009年からはザールランド州立劇場の音楽監督も兼ねている。地元ではカリスマ的存在となっているらしい。そのほかにザールブリュッケン音楽大学指揮科正教授、ピアニスト、作曲家という顔も持っている。彼は、決して名声を求めていない。楽団員と心を一つにして自分の求める音楽造りにのみ楽しさ、幸せを感じている、とインタヴューに答えている。
上岡敏之のコンサートを初めて聴いたのは、2010年10月13日松本のザ・ハーモニーホールであった。楽団は手勢のヴッパタール交響楽団で、曲目はチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(ソリスト:アナスタシア・チョボタリョーワ)、ベートーベンの交響曲第3番。その当時、評論家の宇野功芳氏が「樂の寄す」(音楽之友社)で「上岡敏之の音楽性、芸術性は極めて高級だ。まず、リズムの敏感さ、そしてデリケートな感受性が音楽のすみずみにまで張り巡らされている。やはり、シューリヒトとの相似性を痛感した・・・」と絶賛していたので、かなり期待感を持って出かけて行った。まず、彼がステージに登場した瞬間、度肝を抜かれた。上岡の髪である。前髪を伸ばして、扇を広げたような奇抜な髪型で、いままでこんなのは見たことがない。
前半の主役は、この日のためだけに来日した絶世の美貌アナスタであるはずだが、メリハリの効いた上岡の伴奏と独特の指揮姿のインパクトは強烈である。背もたれを左手で握りながらソリストと真正面に相対する姿、ここぞという時の鬼のような激しい動き。上岡の姿そのものが音楽の化身、音楽のかたまりになっているかのようだ。シューリヒトというよりも、本人はクライバーを意識しているかもしれない。後半のベートーベンが凄かった。今まで耳にしたことがないような第3番であった。型にはまらない変幻自在の強弱、ピアニッシモの生かし方、溌剌とした心のこもったメロデイー、クライマックスの爆発力。私は、聴きなれたあの長大な第3番がとても短く感じ、しかも全く異なる作品であるかのような錯覚を起こした。今まさに新しい音楽がここで誕生し、初めて演奏されたような、そんな衝撃的な体験だった。このときが、魂を上岡に売り渡してしまった瞬間である。サイン会があるというので、走ってホールを飛び出したら、私が行列のトップだった。ニヤニヤしながら出てきて鷹揚な態度で席に着いた上岡は、私に話しかけてきた。「僕って、変でしょう?よく言われるんですよ」
上岡敏之は年に1~2回、日本のオーケストラに呼ばれて来日している。私は万難を排し、上岡の演奏会へ行くことにした。
2011年7月21日 東京オペラシテイーコンサートホール
東京フィルハーモニー交響楽団 曲目:シューベルト交響曲第7番、第8番
2012年1月25日 サントリーホール
読売日本交響楽団 曲目:モーツアルト交響曲第34番、マーラー交響曲第4番
2013年3月30日 東京オペラシテイーコンサートホール
日本フィルハーモニー交響楽団 曲目:ブルッフ ヴァイオリン協奏曲第1番(ヴァイオリン:郷古 廉)、R.シュトラウス アルプス交響曲
2013年11月22日 サントリーホール
読売日本交響楽団 曲目:ブラームス ピアノ協奏曲第2番(ピアノ:デジュ・ラーンキ)、ブラームス交響曲第3番
いずれも名演奏であった。たびたび、微妙なテンポの変化にハッとしたり、ピアニッシモの絶妙な美しさに心が震えたり、阿修羅のような気迫に圧倒されたり、華やかなメロデイーの歌わせ方に酔いしれたり、演奏中は一瞬の緊張をも解くことができなかった。それらの表現が決してわざとらしくなく、すべてが理にかなっているように感じられる。上岡の、作品に対する独特の解釈とその勇気に拍手を送りたい。私にとって、演奏会がはじまる前からわくわくさせてくれる指揮者は、上岡とテイーレマンのみだ。
[推薦CD]
上岡敏之指揮 ヴッパタール交響楽団
チャイコフスキー交響曲第6番(DENON)
上岡敏之指揮 ヴッパタール交響楽団
ブラームス ハイドンの主題による変奏曲、シューマン交響曲第4番(DENON)
上岡敏之指揮 ヴッパタール交響楽団
マーラー交響曲第5番(DENON)