サントリーホールの指揮者室に突入せよ
アラン・ギルバート指揮 東京都交響楽団
曲目:ベルク ヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン:ペーター・ツインメルマン)ブラームス ハイドンの主題による変奏曲、ブラームス交響曲第1番
2011年7月17日 サントリーホール
ニューヨークフィルの若きマエストロ アラン・ギルバートが東京都交響楽団を指揮するため来日するというニュースに私は居ても立ってもいられなくなり、当時岩手県で学生生活をしていた娘を呼び寄せて、サントリーホールへ出かけた。
アラン・ギルバートは日系2世の指揮者で、その数年前サイトウキネン・オーケストラとのマーラー5番を聴き、以来彼のファンになった。クラシック音楽好きの娘をわざわざ呼び出したのは、名演奏になることは必至と思ったからだ。前半は、ペーター・ツインメルマン独奏によるベルクのヴァイオリン協奏曲である。私は昔からこの人が好きだ。もう20年も前のこと、テレビのN響アワーでチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を聴いたとき、この人はなんと端正で上手な弾き手だろうと思ったことがある。その時の演奏する姿を、私は今でも鮮明に覚えている。さて、ベルクであるが、この曲はCDで予習してきたはずだが、やはり難しくてよくわからない。仕方がないので、ヴァイオリンの音色だけに集中した。しかし、彼の生の演奏を聴くことができたという事実は私にとっては意義深い。
後半はブラームスの交響曲第1番。これもかなり前のことだが、テレビでアラン・ギルバートとN響が協演したのを聴いたことがある。実に堂々とした正統派の演奏だったと思う。彼の指揮ぶりは身体全体をしなやかに使ったダイナミックなもので、振り方が曲線的で美しい。解説の池辺晋一郎氏が、とてもいい演奏だと評価していたことを思い出す。はたして、今日はどうだろうか。出だしは抑制的な指揮で、緊張感のあるやや遅いテンポではじまった。しかし、いったいどうしたのだろうか。第1楽章の中盤から爆演指揮者に変身してしまった。あのしなやかで優雅な姿をかなぐり捨て、巨体を激しく動かしてオーケストラをあおりだしたのである。とにかく気合が入っていた。オーケストラもそれに引き込まれるように、必死の形相で演奏している。終楽章などは、指揮者はまるで佐渡 裕のように暴れまわり、楽団員もこれ以上は無理というほどの大強奏で終演になった。会場は大興奮状態に陥った。
終演後、貴重な体験をした。特に示し合わせたわけではないが、松本から来た知人6人がロビーに集まった。ヴァイオリン造りのI氏が、「多田君、アラン・ギルバートに会ってみたい?」と言う。「会いたい、会いたい、会いたい」「じゃあ、オレについてきな」楽屋口の前にはすでに50人以上のファンがつめかけて、アラン・ギルバートの登場を待っていた。松本から来た6人のI軍団は、それらの人々をかき分けて、楽屋口から入ろうとした。当然の如く、警備員が立ちはだかり「関係者以外の人は入れません」と、ギョロ眼で睨みつける。I氏は「アランに呼ばれているの。アランに聞いて」と返す。「アラン?もしかしたらマエストロのことですか?」「そう、そう。アランに聞いてよ」警備員はなにやら電話で話をしたらしく、「どうぞ、お入りください」と慇懃に言う。それ見ろ、という顔で、周りを睥睨しながら入って行った。控室が廊下に沿って並んでおり、演奏を終えた楽団員が廊下を行き来していた。I氏は通りがかりの楽団員に「アランの部屋はどこ?」と聞きながらどんどんと歩いていく。I氏は、少年がそのまま大人になって歳をとったような人で、天然な傍若無人ぶりを発揮する。私はこういう場所に立ち入るのは初めてのことでドキドキする。一番奥に指揮者室があった。I氏はノックもせず、ずかずかと入っていき、「やあ、やあ、アラン。素晴らしい演奏だったよ」と、抱きついた。I氏は入口で躊躇している私達に向かって「さあ、はやく入って、入って」と手招きする。私は後ろから押されるようにマエストロの目の前に立った。マエストロはすでにTシャツに着替え、首にバスタオルを巻いて汗を拭いていた。サントリーホールの指揮者室などという夢のようなところへ入って、アラン・ギルバートの目の前に立っていることが信じられない思いだった。特にセリフを用意しているわけではなかったので、握手してもらい、写真を撮ってもいいですか、と聞けば、「いいですよ」と答える。ふつうに日本語をしゃべるんだね。I氏を中心にマエストロとしばらく歓談したが、見知らぬ人物がひとり、私達の中にいることに気付いた。60歳ぐらいの身なりの良い紳士で、サイン帳のようなものを胸に抱えてシレッとした顔をしている。もしかしたらI氏の知人かなと、その時はだれしもが思ったのだが、実は全くの他人であった。その人は私達が部屋を出る時も後についてきた。楽屋口をわが物顔で入って行く私達の後をついていけば、何か良いことがあるかもしれないと考えた追っかけマニアであったのだろう。首尾よく指揮者室に単独で突入してきたそのオヤジ、アッパレというしかない。