ヤン君の運転でザーンセ・スカンセという風車の村に向かった。
この青年は映画俳優ではなく、経済評論家だった。物静かで知的な紳士である。この機会にオランダ人の彼に質問してみよう。
(1) Q:勘定を割り勘にするときに英語で“Let’s go to Dutch”というのはなぜ?
A:オランダ人は個人的な資本経済理念が確立しているのです。(へえー、よくわからんが、すごいねえ。要するにケチなんだ:かっこ内は独りごと)
(2) Q:幕末、西洋医学の普及に甚大な貢献をしたシーボルト(本当はオランダ王国のスパイだった)を存じておるか?
A:存じませぬ(おっと、意外千万なり。もし幕末の武士がこれを聞けば「これはしたり。オランダ人の分際でシーボルトを知らぬじゃと。おのおのがた、一大事でござる」とか言って江戸城方面に走りだすかもしれない。)
(3) Q:水出しアイスコーヒーをダッチコーヒーと呼ぶのはなぜ?
A:わかりません (浅草のアンジェラスというケーキがうまい喫茶店のメニューにはっきりとダッチコーヒーと書いてあるぞ)
(4) Q:オランダのダッチワイフは高性能なの?
通訳していたまこと君が「なんですか、それは?」「いや、なんでもない」(さわやか青年にはダッチワイフなんてわからんだろうなあ)
余計な話をしていたらすぐに着いた。立ち並ぶ大きな風車、小川、草原、遠くにみえる緑色の壁の家々。典型的なオランダの田舎の風景である。当然のことながら、吹きわたる春の風がとても強い。案内図を見ると“猫の風車”というのがあった。わたしは女性音楽家には弱いが、猫にはもっと弱い。わざわざその猫の風車まで行ってみたが、周りのほかの風車と何ら変わるところがない。名前の由来を聞こうと思って入口のドアを開けたら、それを待っていたかのように13、4歳と思われるかわいい少女が飛び出してきた。「ねえ君、どこへ行くの?」「・・・・」わたしの声は聞こえているはずだが、言葉がわからないのだろうか、振り向きもせずに小川の小橋を渡り草むらの中に入って行った。急にしゃがみ込んだと思ったら、おしっこをして、小川の水を口を付けて飲みはじめた。全身真っ白の清楚で可憐な娘であった。立ち尽くすわたしの後ろにはいつの間にか白鳥が近づいていたらしい。くちばしでお尻をつつかれてびっくりした。理由はわからないが、白鳥のくせに憤怒の形相で目つきが凶悪である。オランダへの旅行者に警告する。オランダの白鳥は凶暴だぞ。以上、ホントのはなし。
アムスの北にあるザーンセ・スカンセからアムスの南のデン・ハーグへ1時間のドライブだった。デン・ハーグは趣のある静かで美しい街であった。マウリッツハウス王立美術館へ直行する。ついにフェルメールの“真珠の耳飾りの少女”の前にたどり着いた。「やっと会えましたね。あなたに会うためにわざわざオランダまでやってきたというのは、あながち嘘でもありません。青いターバンがよく似合いますよ。きっと、金髪なんですね。白い襟の浅黄色の和服を着ているのですか。どうしてそんな瞳でこちらを見つめるのですか」
ハーグの近くに海辺の高級リゾート地があるというので、ぜひ行ってみたいと思った。「海を見ながらコーヒーにしよう」「いいですねえー」「そして時間が許す限り、夕日を見ていよう」「いいですねえー」「そこにはきっと、まこと君のような人がいっぱいいるよ」「えっ、どうして?」「そこの地名は何だっけ」「えーと、スヘフェニンゲンです」「すけべ人間」「あっ」立派なホテルを中心にレストランもカフェも海辺に沿って立ち並んでいる。季節外れの人けも少ない砂浜のカフェでカプチーノを飲んだ。広い砂浜の向こうには、薄茶色の波が高く、荒涼とした海原が広がっていた。雲の間から僅かに夕日が輝いている。波の音が響き、潮のにおいを運んでくる風が鳴っていた。初めて目にする北海の海であった。わたしは突然、誰かに手紙を書きたい衝動に駆られた。自分の生き方も悲しみも焦燥も孤独も、この目の前に広がっている風景の前では、どれもがたいしたことではないのだ。異国の海としか言いようのない風情でありながら、それでいてどこか郷愁に満ちた、悠久とさえ思えるこのありさまを、文章に綴って誰かに送りたくなったのである。しかし、すぐにその気持ちは萎えそうになった。どうしてこんなあたりまえなことに気がつかなかったのだろう。ほんの少しでも胸を震わせながらわたしの手紙の封を切ってくれるようなひとは、この世には誰もいないのだということを。それならそれでもいい。誰にも出さない手紙を書けばよい。今夜は何もせず、そのことだけに時間を費やそうと思う。そして、本当に自分はそうするだろうと確信するのだった。この旅を終わらせるために。