コンセルトヘボウで演奏会を聴くことになっている。残念ながら、世界3大オーケストラの1つであるアムステルダムコンセルトヘボウ管弦楽団の演奏会ではない。しかし、このホールは世界最古の木造コンサートホールとしてその音響効果の素晴らしさは世界屈指といわれている。アムス旅行はこの演奏会がきっかけだった。わたしのツアーコンダクターを務めてくださっているドクターKのY夫人に、「今年の連休はどうしたらいいでしょうか」と問えば、「アムスがようございますわよ」という答え。わたしの頭の中にはアムスという候補はなかったが、アムスといえば、まず頭に浮かぶのはコンセルトヘボウである。「コンセルトヘボウで聴けたら幸せでしょうね」「紗江子さんという親しい友人がオランダ航空の乗務員をしていてアムスに住んでいますから、聞いてみましょうか」「へえー、すごいなあ。じゃあ一応聞いてみてください」と軽くお願いした。その日の夜、Y夫人から電話があった。「取れましたわよ」「えっ、何がですか」「コンセルトヘボウのチケット」「あれっ」「紗江子さんと相談してだいたいの旅程も組んでみました」「あれっ」「ガイドさんも頼んでおきました」「あれっ」「往復オランダ航空にするようにJ社の松木さんにも念を押しておきますわね」「あれまっ」ということで、あっという間にこの旅が決定的になった。そして、その紗江子さんが弟のように可愛がっている画家のまこと君を紹介してくれたのであった。今回、紗江子さんとはロシア上空ですれ違っているので、アムスではお会いできない。さて、その演奏会はP.ヘルウエッジ指揮カンマー放送管弦楽団による1時間のミニコンサートで、ベルリオーズ作曲ビオラ協奏曲。2階席だったが、わたしのようなシロートにも、音の響きが柔らかく、極めて上質かつ鮮明であることが分かる。わたしはこのホールに特別な思いがある。全盛期のカルロス・クライバーがたった一度だけコンセルトヘボウ管弦楽団とベートーベン交響曲第4番、7番を振った映像が奇跡的に残っているからだ。歴史的な名演奏であった。彼が撮影を許可したライブ映像は5つしかない。このホールの構造は独特で、指揮者はオーケストラの後方の階段を降りてくるのである。そこを降りてくるクライバーの視線の角度、神経質な表情、手の振り方、脚の下ろし方をわたしはいつでも頭の中のスクリーンに再生できるのである。
まこと君がインターネットで東北大震災の慈善コンサートがこの近くでおこなわれることを調べてくれたので、駆け足でその会場へ向かった。市役所の出張所の、30人も入ればいっぱいになるような会議室が会場だった。コンセルトヘボウ管弦楽団で活躍中の金丸葉子さん(ビオラ)と栗田智子さん(ヴァイオリン)を中心とした5人による室内楽演奏会である。コンセルトヘボウ管のメンバーなのだから、世界超一流の芸術家なのである。わたしが音楽家を尊敬すること、常人の比ではない。とくに女性音楽家には弱い。演奏会終了後、金丸女史と握手し激励す。「いい演奏会でした」「ご旅行ですか?」「はい、松本から」「あら、毎年松本のサイトウキネンに参加しておりますわ」「ではBホテルに滞在で?」「ええ」「その隣で医療関係の仕事をしていますよ」「そういえば糖尿病内科の看板がありましたが」「そう、それです。以前フルートの工藤重典氏も来ましたよ」「困ったことがあったら伺いますのでよろしく」「困ってなくとも是非お寄り・・。いっしょにお茶ぐらいは・・」だめだ。声が上ずって、それ以上言葉がでない。今年の正月、ウイーンにてドン・ジョバンニになることを決意したが、やはり無理のようだ。
ゴッホ美術館と国立博物館へ行く。どちらもチケット売り場は1時間待ちの行列だが、まこと君がインターネットでとっていてくれたのですんなり入れた。ゴッホやレンブラントやフェルメールの名作を、画家の解説付きで観れるなんて、ドーダスゴイダロー、という気分である。しかし意外なことに、よくしゃべるまこと君は美術館に入った瞬間から寡黙になってしまった。わたしの隣でためいき交じりに「美しいですねえー」ぐらいしか言わない。美術音痴のわたしは名画を指さして「この絵のどこがどういいの?」と恐る恐る聞いてみる。「色の使い方がいいんですねえー」「どういうふうに?」と無遠慮に聞く。「ふーむ。天才的ですねえー。ふーむ」優れた芸術作品に相対するときは余計な言葉は不要なんだな。
夕食はVisaandescheldeという海鮮フレンチレストランを予約した。まだ明るいがすでに満席である。「この店のスペルはどう書くの?」とメモ帳を出したら、忙しく立ち働いているオランダ人のボーイが素早くやってきて、店の名刺を黙ってさっと置いていった。こういう店なのだから美味しくないわけがないのである。この店の従業員の採用には容姿の項目も入っているに違いない。白アスパラのサラダ、ザリガニのタイ風スープ、ロブスターとホタテ、大きいタラのソテイーとマッシュポテトなど、Lekkerと絶叫した。今回の旅の昼食、夕食とも、紗江子さんがわたしの好みに合わせて全部決めてくれたのであった。